おうめです。
長い付き合いだからこそ
その経験により培った「このヒト こういうヒト」という感覚で付き合うことができる
でもその実それは、
長く付き合うことによって「相手のことを知ろう」から
ある時を境に「知っている」「このヒト こういうヒト」ってなってしまう、
相手を知ろうって動きが停滞しちゃってるってことにもなってたりってあるんですよね
「このヒト こういうヒト」
そう思っている『私』が得られているのは安心感
相手も『私』のことをわかってくれていると思うし、
もちろん『私』だって相手をわかっていると思ってる
だから対し方も新規の人間と違って深く考えない
楽ーな安心感に甘んじて感覚前提で付き合ってしまう
しかも「このヒト こういうヒト」って感覚は普遍だと思ってしまう
(『私』を主格にしてるけどこれは相手からだってそう)
だけどもだっけどっ
『私』にしたって相手にしたって、人間って変化しますよね
ずっと同じってありえませんよね
『私』が「このヒト こういうヒト」って感覚
−停滞する以前に知りえた人物像−と現在の人物とはまったく同じであるわけがない
そしてそう思ってる『私』自身だって変化してる、
となると歯車がかみあわなくなるっていう事態が起こってもおかしくはない
長いこと付き合ってるのに、
わかっていると思ってたのに関係がダメになった
−そういう事態が起こってもおかしくないですよね
なら、プラス『妥協』のバァちゃん方だって
長い付き合いの途中で、
もし、以上のことに甘んじてたらマイナス『妥協』だったはず
『若造』は言うに及ばす